EOS-1DX EF200mm F2L IS USM
北陸新幹線の敦賀開業が目前に迫っている。
日本に鉄道の火が灯ったその日から重要な幹線であり続けた北陸本線も、ついに米原と敦賀を結ぶだけの存在となってしまうのだ。
もちろん鉄路は遥か北へと繋がったままであるし、北陸新幹線がこれからはメインルートとしての責務を果たしていくことに疑いの余地はない。だが、旅客輸送ルートとしての北陸本線は、北陸新幹線に接続する新幹線アクセス路線という地位に甘んじることになる。そこには、私が幼い頃に熱い視線を注いだ”北への大動脈”としての姿は最早ない。新幹線の開業によってより速く、より便利になると分かっていてもそれは寂しいものだ。
もっとも既に北陸本線から夜行列車は消えて久しく、金沢から先が第三セクターへ分離されてそろそろ10年にもなろうかという今、既に往時の姿を偲ぶには遅いのかもしれない。だが、関西・東海地方と北陸地方を結ぶ特急の本数は間違いなく「鉄道が北陸アクセスの主役だ」と信じるに足るだけの存在感を示してきた。事実、現在でも1往復が残る大阪~和倉温泉間のサンダーバードについて、和倉温泉関係者が大阪駅で”和倉温泉行き”というアナウンスがされることの意味の重さを口にする報道が度々なされている。自家用車だ高速バスだと言っても、まだまだ鉄道が旅客輸送で果たす役割は大きいという事だろう。
新幹線がそっくりそのまま北陸特急を置き換えるのであれば良いのだが、敦賀までの暫定開業ということで発生する乗り換えの問題などの過渡期ゆえの不安を慣れ親しんだ北陸特急にカバーして貰いたいという思惑が地元にはあるのだろう。つまり新幹線その物を非難しているのではなく、JRが地元の不安に寄り添った対応をしない事に不満が有るわけだ。その点で鉄道マニアの独りよがりな郷愁とは全く異なる。
もちろん、新幹線が開業することは悪いことばかりではない。冬季でも安定した運行が出来るようになるだろうし、大阪開業を果たせばむしろ嘗ての在来線特急の上位互換の存在として北陸アクセスにおいて大きなプレゼンスを示すであることは想像に難くない。やはり鉄道マニアが何を言ったところで、所詮は無責任な外野の意見に過ぎないのだ。
『ラーメン発見伝』というマンガで「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!」というセリフがある。今や手垢がつくほど使い古されたネットミームであるが、金言である。
私が見ているのも、681系・683系のサンダーバードやしらさぎではない。1時間に2本か3本はやってくる白い特急列車の向こうに浮かんで見える485系の”L特急”雷鳥やボンネットのしらさぎの幻影を追っているのだ。本質から離れたところにある自分にとって魅力的な情報に踊らされているのなら、素直に新幹線を受け入れるべきだろう。そして北陸新幹線の”つるぎ”や”かがやき”といった愛称に付き纏う情報を食えばいい。それが世のためというものだろう。
そんな北陸新幹線の敦賀開業もまだ遠い未来の出来事に過ぎない2019年、貨物もやって来ない時間帯の北陸本線の線路際にへばりつく人間は皆無だった。
地平線の上まで綺麗に晴れ渡る冬の空を通して、鮮烈な夕日が辺りを茜色に染め上げる。遥か向こうに輝く三つの灯りが段々と近づいてきた。朱に染まった流線型の車体が眼の前を通り過ぎる刹那、レリーズを握りしめてシャッターを落とす。V!
いやいや、やっぱりこれはこれでカッコいいよ。諸先輩方からは洋式トイレ呼ばわりされた681系も、私にとっては日本海や485系と並ぶ”北陸本線の原風景”。白い長大編成が北陸路を練り歩く姿を見れなくなるのはやっぱり寂しいなあ。