2025/4/12 539K 普通|鳥取 キハ47 2連
GFX100II GF100-200mmF5.6 R LM OIS WR
寒かった冬が終わり、今年も春がやってきた。気温が上がるにつれて冬の顔をしていた野山に鮮やかな色彩が混ざり始める。まずは梅、次は田んぼの畔に菜の花。そして春分を迎える頃にはいよいよ桜が花開く。
古来から桜を愛でてきた日本では、人が集まる場所には必ずと言っていいほど桜の木が植えられている。地区や集落ごとに一つや二つはローカルな桜の名所があるはずだ。街道沿いにポツンと咲いて旅人を見送ってきた一本桜も乙なものだが、日々の暮らしの中で歳時記に組み込まれた”おらが村の桜”の方がより人情味を感じられるのではないだろうか。
山陰本線の兵庫県日本海側区間では険しい山が海辺まで迫っているため、各地にある僅かな平地に集落が点在している。かつての北前船のためあちこちに風待ちの港が建設された事も手伝ってとにかく小集落が多い。集落があれば寺院があり、人が集まる寺院には桜が植わっている。いきおい右手には集落のソメイヨシノ、左手には山桜、そして正面にはタラコのヨンマル...というような垂涎ものの光景が展開されるのだ。
カニの水揚げ港として有名な浜坂から小さな山を越えた先にある諸寄も、北前船とともに歩んできた港町だ。北前船の風待ち・潮待ちの港として栄えた土地だが、今となっては往時の賑わいを史跡によって偲ぶことが出来るのみである。
集落の外れにある龍満寺はそんな史跡の一つ。難破した北前船の乗組員を弔った記録があるという同寺だが、死者の魂の安寧のためかはたまた生ける集落の人々のためか、境内には所狭しと桜が咲き誇っている。山陰本線はその門前に諸寄駅を置き、北前船亡き後の物流手段を集落へ提供した。
太陽が日本海に沈む頃、小さな諸寄駅のホームに明かりが灯される。辺りがブルーのトーンに染まる刹那に黒い山肌を背景に佇むお寺の桜が妖しくも美しい。夜の帳が下りる寸前、鈍いディーゼルサウンドを奏でてタラコのキハがプラットフォームへ滑り込んだ。しかし諸寄で降りる人はなく、また乗り込む者もない。かつて自らが北前船に取って代わったように、今や自動車が鉄道を追いやってしまったのだ。
何事にも始まりがあれば終りもある。生者と死者、鉄路と海路。しかし、この地の栄枯衰勢の全てを見てきた龍満寺の桜だけは———他に取って代わるものが無い桜だけは———明日も変わらずに咲いていることだろう。そんな諸行無常をキハのテールランプの輝きに感じながらそっとシャッターを切った。