2025/4/27 164D 普通|豊岡 キハ47 2連
GFX100II GF45-100mmF4 R LM OIS WR
香住駅を下関方面へ出発した山陰本線の列車は、香住の浜へ注ぐ矢田川を跨ぐとすぐに山の中へ分け入っていく。同駅は海抜10m近くに設けられているが、この先で越えていく桃観峠は直下にトンネルを穿っているとはいえ標高は80m近い。そこまでに何としてでも高度を稼ぐため高い築堤と何本ものトンネルを駆使した鉄路は、余部の集落の頭上を越える頃にはほぼ標高50mに達する。鉄道風景の名所として名を馳せた余部橋梁は、この高度を維持したまま集落のある谷間を克服する要請から生まれたものだ。桃観トンネル内でサミットを越えた後は転がり落ちるように久斗川の谷筋を下り、浜坂駅に到着する頃には再び海抜約10mとなる。香住~浜坂は山陰本線の中でも最後の方に開通した区間だが、建設に要した土工の量を考えるとそれも納得である。
線路を通すのに大変な労力を要した理由は海岸線ギリギリまで山が迫る険しい地形にあるのだが、そのような地でも人間の暮らしが営まれている。香住から西へ山を2つか3つ越えた先にある鎧集落は古くから漁業を生業としてきた。険しい山々に囲われた入江の奥に港があるという陸上交通には不便な立地だが、山によって風が遮られるため天然の良港として栄えてきたという。
山陰本線の香住~浜坂間開通に際して、桃観峠越えの通過点に過ぎない人口希薄な当地に鎧駅を設けたのには海産物の輸送という目的があっただろうことは想像に難くない。駅には漁港と直結したインクラインが設置され、かつてはここから列車に積み込まれた魚介類が京阪神の食卓に並んだのだろう。もっとも、鉄路が海の幸を運んでいたのも今や昔話。鎧駅の貨物扱いは1970年に終了し、インクラインも現在は遺構が残るのみである。
だが、それは鎧で営まれる漁業の終焉を意味するものではない。どうやら現在は香住の卸売市場へ穫れた物を直接持ち込んでいるようだが、但馬圏の漁船漁獲量は兵庫県全体のそれの3割弱を占めるほどもある。今日も鎧駅に降り立てば、漁船のディーゼルエンジンが奏でる低い唸り声を耳にするはずだ。まだこの港は”生きている”のである。
例年こどもの日が近づくと、漁港を跨ぐように鯉のぼりが飾られる。エメラルドグリーンの水面を背に色とりどりの鯉がそよぐ姿は壮観の一言だ。港を出入りする漁船を眺めながら列車を待っていると、朝凪の時間帯にも関わらず吹いてきた一陣の潮風をはらんで鯉のぼりが一斉に泳ぎだす。時刻は8時19分。定時で山を下ってきたヨンマルが見計らったかのようにアングルへ収まった。V!