9515レ EF81 43+サロンカーなにわ7B 「月見のおわら」

東海道本線

 

2014/9/27 9515レ EF81 43+サロンカーなにわ7B 「月見のおわら」
EOS7D EF70-200mm F4L IS USM


 かつて、”ウヤ情”という雑誌があった。前半はカラー刷りで毒にも薬にもならないような特集や読者の写真投稿コーナーが並んでいるが、そんなものは読まずに後ろの方までページを捲ると地味な白黒刷りとなる。ここがこの雑誌の核心部、臨時列車のダイヤを掲載したページであることは諸兄も御存知の通りである。まだまだ被写体が残っていた頃は行楽シーズンともなれば各地の波動用車両の名前とダイヤでページが埋め尽くされていたものだ。
 その中でもひときわ目を引いたのは、とうとう引退を迎えた大サロこと”サロンカーなにわ”。10年ちょっと前は活動が低調だった時期を脱して頻繁に運転されていたこともあり、ウヤ情を開けば必ずチェックする車両だった。


 当時は秋の”おわら臨”に大サロが毎年のように充当されていた。この”おわら臨”、フル編成・トワ釜の組み合わせまではいいのだが大抵はHM非掲出。キハ181系で運転されていた頃もやっつけ感のあるマークだったし、これがこの列車の伝統なのだろうか・・・。サロンカー蓮舫事件以前はHM掲出とフル編成は当たり前。そんな雰囲気ではあまり有り難みのある列車ではなかったが、せっかくなので何度かサントリーカーブまで撮りに行った記憶がある。
 1時間半くらいに現着し、空いたスペースを見つけて潜り込んだものだからあまり良いポジションではない。中継信号には目を瞑り、7Dのコマ速に任せて適当に連写。まあかつてはそれくらいの雰囲気で撮る被写体だったということだ。


 自身の大サロの思い出といえば、撮影を通じて「しょっぱい条件の臨時列車よりも最高条件の定期列車を撮りたい!」という思想に傾倒というくらいなのでさしたる思い入れはないのだが、活躍していた頃を知る名優の勇退はやはり寂しいものだ。
 ところで、減車5BをクリアテールのPFが曳いて当然のようにHMは無し・・・と、半ば死に体だった晩年の大サロ。それと同様に死に体になりながらも屍をさらしている存在がある。冒頭でも触れた”ウヤ情”という雑誌だ。いつからか社会情勢により鉄道会社からダイヤ情報の提供を受けられなくなったとのことだが、あの雑誌から臨時列車のダイヤを抜き去ると一体何が残るのだろうか。もろみから日本酒を絞り出した後に残る酒粕は食材として美味しくいただけるが、ウヤになる情報すら載っていない”ウヤ情”・・・最早それはただのカスではないのか。この先”ウヤ情”を手に取ることはもう二度とないので、永遠にその実態を知ることはないだろう。